どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

キャロライン馬車パレードの“方程式”

★2013年11月22日(金曜日)
★《3.11》フクシマから →  988日
★オリンピック東京まで → 2436日

 1963年のきょう11月22日。
 ジョン・F・ケネディー、アメリカ合衆国大統領テキサス州ダラスで暗殺。
 あれから50年…。

 あの日ぼくは、どこでどうしていたか…まったく記憶がない。
 ただ「狙撃」の一報後は、衛生中継放送の映像にクギヅケになっていたことだけが、焼印のようにクッキリのこっている。
 「Assassinated」
 早口にくりかえす向うのアナウンサーの悲痛な声とともに…。

 ケネディーのスピーチが感銘だった。
 政治家の演説がうつくしく思えたのは、彼が最初で最後かもしれない。
 「Together」
 たしか彼の大統領就任演説にはメロディーがついて、レコードにもなった。
 彼には、ヤンキーっぽい茶目っけがあり、マリリン・モンローと浮き名をながす悪戯っぽさもたっぷりあった。
 あれだけ愛される政治家というのも、ニッポンにはなかったことで驚きだった。

 亡き父の葬列を(弟のジョンと並んで)まだあどけない表情で見送った少女の姿は、人々につよく印象されている。
 直後から始まった不可思議きわまりない蠢きのなか、大統領暗殺の真相は深い闇にまぎれ、紛れた闇を切り裂こうとする動きがさらに混迷を深めていった。

 母ジャクリーンは、わが子をよく守った。
 その保護のもとキャロラインは、熾烈なジャーナリズムの報道合戦から逃れ得た…のだと思う。
 後に再婚した母、ジャクリーンもいまはない。

 「キャロラインが駐日大使に…」と話題になったとき、(ははぁ)いいカードをいいときにきってきたな、と思った。人材はあるものだ。
 絶不調におちこんでいたオバマ大統領の、もうこれっきゃない思いきったひと振りが、場外ホームランになった感がある。

 19日に皇居へ、キャロライン・ケネディー新駐日米大使、着任の挨拶。
 (信任状奉呈式…というんですってネ、知らなかったな、ボクには日米関係たてなおしの“方程式”とヨメた)

 キャロラインの馬車行列、沿道には人波があふれたという。皇室式典なみ。
 「皇室のないアメリカにとって、キャロラインはいわば皇女のような存在」だと、どこだかのテレビ局特派員がいっていた。

 いいんじゃないかな、ぼくは素直にそう思う。
 ただ、オキナワ(基地問題)のムズカシさにかわりはないだろう、気がする。

 そうして来年4月には、いよいよオバマ大統領が日本にのりこんでくる、らしい。