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どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「桜まつり」を待つ〝墨堤〟の桜、そして浅草寺…多国籍の賑わい

-No.1293-
★2017年04月06日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2219日
★ オリンピック東京まで → 1205日











春分の日の3月22日

 …は、春彼岸の中日。
 桜の開花も、いよいよ間近か、あるいはすでに開花か、といった美妙な頃。
 
 ことし、東京の開花は21日だったけれども、ぼくの住む町田は冷たい雨模様だったので「えっ」という感じ。
 家の脇にある緑道の、桜もまだ蕾が固かったし……
 油断していたら、近くの小山の陽ざしのいい斜面の桜はもう開いていて、いたずらっぽい少女に「くすっ」と笑われた気がした。

 ま、桜の季節は毎年こんなふうで、でも、こころは軽い。
 春彼岸の中日には都心の菩提寺へ墓参り、その後、桜花を訪ね歩くのが、これも習慣になり。

 まだ若く盛んなじぶん、花見といえば上野の山だったけれども、こっちはいつの間にか浅草、墨堤の桜のほうにシフトした。
 なにしろ上野の山はチャップイ(寒い)、ビールやお酒がすぐにおしっこ。
 ついでにこの頃の上野のお山は、世の中をなめきった若造ども、酒の楽しみかたも知らない狼藉者連中、あげくのはてにみっともなくもゲロゲロやって、花見どころの騒ぎじゃない。
 墨堤の風も冷たいが、空が開けるせいか底冷え感はなかった。

 そういうわけで、この春も浅草。
 墨堤を、吾妻橋を東へ渡って墨田区へ、墨堤通りの親水テラスを眼下に北へ歩いて、こんどは言問橋を西へ、台東区へと渡り返して浅草寺に詣でた。

 ことしの”めっけもん”は、墨田区役所に近い墨堤の「雅〔みやび〕」、早咲きの桜でプリンセス雅子にちなむ名をいただいており、その命の華やぎに頬を染めた風情は、むしろ愛子さまにお似あいかも知れなかった。
 桜よりひとあし早いハクモクレンの花。
 コブシの花とのちがいについては前にもふれたが、花が上向きに、ユリかチューリップに似て咲くモクレンには山の手の風情。いっぽう、ちょっとはしゃいで横向きに、大きく開くコブシの花には下町か山家の風情。
 そうしてボクの好みをいえば、花弁ぽってりと装いも上品なモクレンより、やっぱりお陽さまや風と遊ぶのが好きでやんちゃなコブシ…となる。

 墨堤には”桜祭り”の屋台も準備が整い、花見の酔客たちがそぞろ歩く日を待っていた。
 休日の橋上には女学生たちの自転車が、スカートに風をはらんで颯爽と駆け抜け。
 ふり仰ぎ、眺めまわせば、スカイツリーにゆきあう。

 浅草寺は、境内の多国籍の賑わいあいかわらず。
 香炉からたちのぼる煙りを身体じゅうにこすりつけ、娘たちは”ジャパニーズ・キモノ”着付けサービスの”馬子にも衣装”が、ときとともにフシギと板についてきているのがオカシかった。

 仲見世を雷門へと歩くと、どういうわけかいつものことで、このまま帰ってしまうのが惜しくなるのは、どういうことだろう。
 ぼくたちは、雷門前の梅林堂で落花生の素煎りを買いもとめ、浅草一丁目オレンジ通りの炉端居酒屋「銀鯱」で、「宮島つくね」など肴に一杯やってから、やっと家路についた。



カプッとまるかじり…ほとばしるように旨いトマトが喰いたい

-No.1292-
★2017年04月05日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2218日
★ オリンピック東京まで → 1206日







◆「食べてみてよ」

 土佐の高知に住まいする友から、フルーツトマトの箱が届いた。
 さっそく、なにはともあれ、まず上掲の写真を撮る。

 記者をしていた頃のクセ。
 ”証拠写真”というやつで、オモシロ味はない…が、後になっては取り返しがつかない。
 あるとき、とある宿で鍋料理の写真を撮っていたら、
「まぁ、お写真が先に食べはるんですか。いちばん美味しいとこやのに…ねぇ」
 女将の声が呆れていた。

 ……………

 写真を撮りおえ、サッと水洗い、口に放り込んで、まるごと噛む。
 甘い!
 ジュワーッと果汁のほとばしりも申し分ない。

 すぐに、友に「いいね!」のメール。
 口中に、乾燥した高地の土に染みこむ水の匂いを嗅ぎながら……

 トマトの原産地は南米、アンデスの高原地帯。
 だからトマトの瑞々しさは、乾いた大地に由来する。
 したがって、安易に水を与えすぎると味わいにしまりがなくなる。
「トマトは水を欲しがるんです、だからってアマやかすといけない、こっちもガマンして、ぎりぎりのところで水をあげる、吸いこみますよアッという間にね、それがトマトの旨さになるの」
 栽培農家の人がいっていた。

 おなじようなことを、ミカン農家の人がいう。
「ミカンは手をかけすぎたらダメなの、他人さまから見たらイジメてるんじゃないかってくらい、見ても見ないふりして…可愛くても放ったらかしにしてやると、じぶんの力で美味しく香ばしく育つ」
 子育ての極意を聞くようだった。

 もう…あれから30年くらいになるだろうか。
 「桃太郎」という品種の(ピンク系大粒)トマトが登場して、世にもて囃されたとき。
 その蔕〔へた〕にアオ臭さのまるでない、個性をうしなったかのごときトマトに疑問をいだき。
 (カプッとまるかじり…ほとばしるように旨いトマトが喰いたい)と、まるで飢えた者のように。 
 ボクはみずからトマトづくりに手を染めた。

 しかし、町の園芸屋さんなどで手に入る苗はみな桃太郎。
 やむをえず、静岡で農業に従事する若き友に頼んで、在来種トマトの苗を入手。
 上記、プロの訓えにしたがって…といいたいところだが、じつは、素人のかなしさでやはり片手間の栽培になってしまい、しかし、結果はヤッと驚くばかりの瑞々しい出来栄え。
 (できるじゃないか)そのことであった。
 蔕のアオ臭さも申し分ない収穫をたっぷりいただいた。
 そのときの無我夢中ぶり、あとで愕然と明らかになったのは、そのときの”証拠写真”一枚ものこっていない、ばかりか、そのトマトの品種がなんであったかさえも、いまとなっては記憶にのこっていない。
 ボクとしたことが、あろうことか種子の一粒さえもとっておかなかったとは、まったくナンテコッタ!

 というようなわけで、トマト栽培が長つづきしなかったのは、ほかでもない、ぼくが旅人であったから……
 こればかりは、どうにもしようがなかった。

 ……………

 そうして、しかし、手づくりしなくなったのちも、トマトのデキにはいつも心が向いていた。
 人の医療の進歩は目覚ましいけれど、野菜の品種改良もまた負けず劣らず、ぼくらはいつもその恩恵のもとにある。
 だが、なぜか、日ごろ食するトマトには、その本来の味わいがない、あの瑞々しさはどこへいったのか。
 ぼくは渇くように思い、想いつめていった。
 
 「美味しいトマトにめぐり逢いたい」
 というのは、もちろん「生食」でのこと。
 トマトジュースとか、ケチャップ、トマトソース、トマトピューレ、ホールトマト…みな上出来の旨さがあるのに。
 なぜに、生食のトマトだけがいまだにサラダの末席、彩りを添えるだけの位置に放置されているのか……

 もちろん、気づくかぎりいろいろ、さまざまにチョイスしては、あれこれ試しているのだが。
 なかなかに、「これぞ」というものに出逢わない。
 そんなことがつづくうちに、歯ごたえ風味の理想ばかりがますます肥えていった…ということも、たしかにあったが。

 まぁ、これまでにボクが食したなかで、「いいね」といえるのは、ほとんど熊本産の「塩トマト」だけだった。
 これは、八代の干拓地など塩分の多い土壌で育成されるトマトのうちでも、とくに糖度が高いものをいい、品種をさす名称ではない、と。
 つまり、品種でいえば主に桃太郎なのだそうで、ふつうにいわれる栽培適地とはちがう、むしろ作物にとっては条件の厳しい土地で育ったもの。
 そこに、ひとつナットクのすじがある。

 思い余って、高知の友に声をかけたワケだった。
 「うまいトマトがあったら教えてほしい」と。
 銘柄はいわなかったが…思ったとおり、フルーツトマト発祥の地といわれる高知の代表銘柄「徳谷〔とくたに〕トマト」が届いた。
 化粧箱入りの稀少品であり、高級品であった。
 (友には、とんだ散財をさせてしまった)

 高知市街に近く、浦戸湾にそそぐ鏡川の支流、国分川沿いに布師田徳谷と呼ぶ土地があり、最寄り駅は土讃線土佐一宮〔とさいっく〕
 高知市街そのものが鏡川の三角州低地にあり、「高知」という地名も「河内あるいは河中」に由来するといわれるわけだが。
 徳谷の地は、もともとが干拓地で塩分の多いところに、昭和45年、大型台風による堤防決壊でまた海水に浸かったという。そんな作物が育ちにくい条件の土壌に植えてなお、ハウス内では水分をほとんど与えない、表土に塩が浮くような環境で、じっくり時をかけて成長を待つ。
 他所でなら50~60日で育つところを、徳谷では90日ほどもかけるそうな。

 これらの蘊蓄はネットにも記事があり、このたび友の教示にもあった。
 (ぼくは、トマトはアマやかすといけない…と、教えてくれた農家のことを想いだす)

 そんなふうにして、陽の糧を凝縮して甘みを蓄える、ゆえに玉も小さく収穫も少ない。
 やはり品種にはかかわりなく、栽培法と産地に与えられたブランド名ということになる。
 「土地では”シュガートマト”と名付けている生産者もいます」と、おなじ東京の学園を巣立った友が、いまはすっかり土佐の郷土自慢であった。

 ……………

 ちなみに、夏の水に冷やして味わうイメージのつよいトマトだけれど、じつはニッポンの高温多湿の夏は苦手なトマト、美味くなる季節は春~初夏と晩夏~秋口になる。

 戦後すぐ生まれのぼくは、幼心に、父母が庭で育てたトマトの、ほとばしる果汁のなかのほんのり甘みと、すばらしく酸っぱい蔕のあたりの緑の果肉との際だった対比とが、脳細胞の皺深くきざまれており。
 その後の長いときを経て、食生活にも恵まれたいまこそ美味しいトマトの盛期かと思ったら、じつはそうではない、という。
 なんでも作付面積でいくと1980年代中頃から減少傾向なんだそうで、これはつまり「桃太郎」ブームがあったにもかかわらず、支持が頭打ちになったことを意味するのであった。
 その理由の半分くらいを、ぼくが指摘する「いまのトマトにほんとうの旨さがない」ことが占めているのではないか……

 だが一方で、そうはいっても家庭で”食べ幸(消費)”される生鮮野菜ランキングでは、ダイコン、ジャガイモ、キャベツ、タマネギにに次ぐ堂々の5位入賞であり。家計調査結果を見れば、野菜類全般では横ばいか漸減傾向にあるなか、トマトはネギと並んで、目立った増加を見せている数少ない野菜でもあり。世界的に見れば”食べ幸”野菜のトップに君臨する。
 この不思議も、トマトらしいといえなくもない。

 現在のトマトの品種数、色々彩々〔いろいろとりどり〕、世界におよそ8000種とか。
 育ち方の謎めいて特異な、愛らしくもしぶとい、グルタミン酸の旨味を内包するリコピン・レッドの逞しさ…とでもいおうか。

 そんなトマト畑に想いかよわせながら、ぼくはトマトをトマトらしく育てることと、そして品種改良のむずかしさを想う。
 それはつまり、育て方はそれぞれの植物本来の”もちあじ”を伸ばす方向にあるのかどうか、はたして品種改良に無理はないのか、あるいはまた逆に”退化”になっていはしないのかどうか。

 たとえば、このたび出逢えた高知の「徳谷トマト」や熊本の「塩トマト」の場合は、”もちあじ”をひきだす栽培法であるのだろう、が。
 しかし、品種改良の方はおしなべて”甘味”追求に偏っている印象、ぬぐいきれない。

 なるほど、”甘み”は”旨み”だが。
 そちらを追求しすぎるあまりに、ほかの”もちあじ”が犠牲にされている例が少なくない。
 つまり”甘いけれども、ものたりない”のである。

 トマトでいえば、甘いトマトはできたけれども、ほとばしる旨さはどこかへいってしまった。
 しかし、真実のトマトの甘みというのは、蔕のあたりのアオ臭さ酸っぱさと、カプッとかぶりついたとき顔じゅうにほとばしる果肉の瑞々しさとのあいだから、ジワッと味蕾を刺激するもの。
 果肉のなんとはなしにフカフカした食感なんぞ無用なのであった。

 ……………

 ともあれ、ぼくはいま、友が送ってくれた小玉の「徳谷トマト」を生で味わいつつ、果肉から小さなタネをとりだす作業に余念がない。
 そうなのだ、この種子から、ひさしぶりにトマトを手づくりしてみよう気になっている。
 成功にせよ不成功にせよ、いずれまた、報告のときがくるかと思う。

「旅する新虎マーケット」とやらいうのだが…/   まだまだ途中経過のワン・ステップに見える

-No.1291-
★2017年04月04日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2217日
★ オリンピック東京まで → 1207日











シャンゼリゼには遠い

 一昨日は、3年前の”新虎通り”をフォト・エッセイふうに見ていただいた。
 あの頃は、”通り”としての完成は車道にかぎられ、歩道の方にはまだ工事用の規制柵がところどころに見られるなど、”待てしばし”状態であった。
 立ち退きからとりのこされたカタチの民家も、いくつかのこっていたりした。

 さて、このたび。
 土曜日の地下鉄虎ノ門駅は、閑散。
 地上に立っても、方向感覚がちょっとのあいだ定まらなかった。やはりビジネス色、官僚色の似合う街。

 虎ノ門ヒルズの界隈も、本日は「closed」、「holiday」ムードの惰眠をむさぼっており……
 (ほぃ、こいつぁ、やっぱり、しまったかな)
 想わないではなかった、ウィークディのランチタイム頃をねらうべきだった……

 ままよ、寝てよう日の枕もと、しのび足でいこう。
  
 「旅する新虎マーケット」オープン。
 そんな春のさきぶれ記事を見たのは2月中旬。
 全国市町村(ただいま464)の首長連合が運営し、3ヶ月ごとに出店自治体が入れ替わり全国を「旅する」かたちをとって。
 オリンピック・パラリンピック気運を地域活性化に役立てたい目論見、という。

 そのスタート、第1回は「木の芽風と薫風」がテーマで、山形市富山県高岡市山口県宇部市愛媛県今治市が出店、郷土自慢の品を販売、プラス神奈川県湯河原町が源泉の足湯を提供。4市町のガラス張りブースに加え、ヒルズ前の「ストア」「カフェ」もまじえてマーケットを展開する、と。

 ちなみに、都道上に設置される常設店舗というのは初のこころみなのだそうな。
 地上の道幅38メートル、左右の歩道それぞれ13メートルという規模は、なるほどニッポンばなれして見える、が。
 肝心の常設ブースなるものが、やはりアレコレ規制があったものかどうか…あまりにも杓子定規というか、日本風土に特徴的な”かこいこみ”の域をざんねんながら脱していない。
 (それもこれもウィークディのせいかも知れないけれど…)

 印象としては、目指す「パリのシャンゼリゼ通り」にはほど遠い。
 (失礼ながら、舛添前都知事が構想を自慢げに語ったときのニアワナイ感を想いだす)
 ま、これから徐々に整備がととのっていくものと…期待しておこう。

 この虎ノ門ヒルズ地区には今後、地上高120m・24階建ての再開発ビルほかが建ち、近くのホテルオークラ東京も2020年に向けて本館を建て替え中。
 地下鉄銀座線の虎ノ門駅も大改造、拡張されることになっており、日比谷線霞が関神谷町駅間の新駅も造られる予定。
 新ビル地上1階のバスターミナルには、都心および臨海部との間をむすぶBRT(バス高速輸送システム)のターミナルも設けられ、そのBRTバスには水素エネルギー燃料電池車も取り入れられる、という。

 現実には、まだいろいろ紆余曲折があろうかとは思われるけれど、2020TOKYOに向けてこの虎ノ門地区に、これからたいへんダイナミックな動きがあることは間違いない。
 これからも目がはなせない。









 
 
 
 
 
 
  

つくり休みいただいています

-No.1290-
★2017年04月03日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 2216日
★ オリンピック東京まで → 1208日

フォト・エッセイ…虎ノ門ヒルズ、新虎通り界隈/2014初夏

-No.1289-
★2017年04月02日日曜日
★《3.11》フクシマから → 2215日
★ オリンピック東京まで → 1209日

*3月4日の土曜日。上野の国立西洋美術館からの帰りに、虎ノ門に寄った。また”新虎通り”界隈に新たなうごきがあったようなので、いってみればカクニン。そうさせるふんいきを、虎ノ門ヒルズ開業からこのかた、この通りはもっており…。そのヒルズが開業したばかりの2014年6月、当時の記録をぼくはフォト・エッセイ用に保存しておいた。それをまずご覧にいれて、このたび約3年後の印象、報告は明後日のことにしたいと思う*
 






























築地に「水の都」の船着場はできるか

-No.1288-
★2017年04月01日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2214日
★ オリンピック東京まで → 1210日








◆隅田川対岸から見る築地市場

 晴海からの帰り道、勝鬨橋南詰でバスを降りて、隅田川の畔。
 じつは、気がついてみるとボクが知っているのは、築地市場の場内・場外ばかりで、裏側というか勝手口は遊覧船から垣間見た程度でしかなかった。

 勝鬨橋下流側、築地大橋との間は、伊豆七島など近海ものの水揚げ桟橋。
 昼どきに近い市場は、もうあらかたの仕事がすんだ頃で、人車のうごきはほとんどない。
 隅田川の勝鬨橋より上流側を眺めると、聖路加タワーをバックに遊覧船が澪すじをひいてくる。
 なかなか美しい早春の景だ。

 ……………

 最後はワルあがきの末に辞任に追いこまれた、舛添前都知事の頃、ここ築地市場あとを船で都内観光の拠点にしようという構想があった。
 その後のドタバタ騒ぎで、アレもいつのまにか立ち消えになってしまったのかどうか。ボク思うには……
 アレはアレでなかなか夢のふくらむいい話、小池知事には継承をお願いしておきたい。

 計画は、もちろん築地市場が新市場豊洲に引っ越した後の話だが。
 隅田川沿いの各所にテラスや船着場を新たに整備、築地市場の桟橋を解体した後に中心拠点となる船着場「築地リバーフロントターミナル」を配して、”江戸前”以来の「水の都」づくりを進めよう、というもの。
 つまり、オリンピック・パラリンピックの賑わいをそのままに、銀座にも近い好立地を生かして、隅田川を水陸の玄関口に生まれかわらせる。

 海からの船と川遊び船との中継ばかりでなく、地下鉄やバスなど陸上交通機関との連絡も向上させ。
 船着場は、築地大橋の上流側と下流側の2ヶ所に置いて利便性よりよく、ターミナル建物も単なる待合所にとどまらない、散策やジョギングはもちろん、オープンカフェで憩いのひとときもあじわえるウォーターフロント・テラスを目指すという。

 なるほど「水の都、舟運で行こう」という気分にさせるのは、なんでも、都内の河川に設置された防災船着場がすでに65ヶ所ある、そうな。
 (そういえば、川すじを歩くと船着場をよく目にするけれど、まさかそれほどとは思わなかった)
 この船着場を94ヶ所に増やし、かつ、観光船などが利用できるように順次、一般開放。オリンピック後の晴海にも船着場、両国には小型船舶が利用しやすい船着場の増設も構想する。
 もちろん、さまざまな魅力発掘の航路充実もなくてはならない。水上タクシーの試験営業も一昨年冬からはじまっている、が。

 いや、もっとたいせつなのは。
 やっぱり陸上交通との結びつき、そして、なにより水上・船旅というスローライフ指向のTOKYOにできるか、だろう。
 「水の都」が、じつは、これまでどおりのセコセコ社会では、どうにもなるまい。

◆”江戸っこ”の市場がケチっちゃいけねぇよ

 以前、2月末に歩いたときには、築地が昼すぎになり人出のピークをすぎていたから、こんどはシッカリその盛況ぶりを見ておきたい、と。
 波除神社から場外市場に足を踏み入れたらスゴッかった、半分は外人さんじゃないか…という人混み、ひきもきらず。
 ぼくは、パリのクリニャンクール”のみの市”にいるような錯覚さえ覚えるほどだった。

 そこを包みこむふんいきは”雑然”のよさ。前にもいった”猥雑”感のここちよさでアル。
 だぁれも、そこに”おすましムード”など期待はしていない。
 そこをトリチガエると、新市場が豊洲か築地か、どちらになろうとせっかくの人気をとりにがすことになるだろう。

 あらためて、新施設「築地魚河岸」も歩いてみたけれど。
 ひとつ「ヤダよ」を言わせてもらえば、「ケチくさい」ことはヤメてもらいたい。

 なにがケチくさいか、顕著なのは刺身マグロだ、なかでも本マグロ・クラスの高級もの。
 大きな魚体を小ぶりに切り分けたものを「さく(柵)」と呼ぶが、柵というからには立てたとき倒れないくらいシッカリしていることがもとめられる。
 ところが実際は、厚さ2センチにも充たない薄っぺらな身は寝かせておくしか手がない。

 「それはねぇ」
 言い訳したい気もちはよくわかる、厚味のある柵にとると値が張っちまう。
 「買いたくても買えない客だってあるだろ」
 それをいうなら、厚味や身幅をケチるんじゃなしに、寸(長さ)をつめたらいい。
 本マグロの刺身が、みすぼらしくなっちゃいけない、本マグロが泣く。
 客だって、けっきょく満足はしない。憾みがのこっちゃ、いけない。
 「奮発して喰う」のが本マグロだろう。

 客の嗜好をトリチガエて、客足を遠のかせた地方の市場がいっぱいある。函館朝市しかり、金沢の近江町市場だってそうだ。
 他所のことは、まぁいい、として、粋と鯔背〔いなせ〕がウリの江戸っこ市場が「ケチくさい」んじゃハナシにならない。

 ぎりぎり安くマケても、どうにもならなけりゃ、
 「値がハリますが…」
 はっきり言ってナットクしてもらうしかなかろう。
 
 一番いけないのが、困った末に根性が「ケチ」くさくなることだ。
 自慢の「目利き」は、「築地ブランド」はどこへいった。
 もちろん、すべてがそうだというのではない、けれども……
 関係者には、よくよく考え直してもらいたいところだ。

 いま「新市場がどうなるか」というときに、廃業か存続かの荒波に翻弄されているのが、もっとも庶民寄りの立ち位置にあって中小店が多い仲卸しさんだ。
 「市場外取引」はこれからも増えていくだろうし。
 新市場予定の豊洲の新設備に期待する声も少なくないのは事実だけれど。
 「目利き」をどっかへ置き忘れての「ケチくさい」市場になっちゃオシマイだろうと思うのダ。

















 

快生やすみ…いただいてます

-No.1287-
★2017年03月31日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 2213日
★ オリンピック東京まで → 1211日




福島県飯館村・川俣町・浪江町、3町村の避難指示、一部が解除された。明日4月1日には富岡町でも解除される。……が、かつてそこに住んでいた人たち3万余のうち、いったい誰と誰とが実際に帰還できるのだろう*

晴海埠頭のオリンピック選手村建設地を見る/   大枚のカネをかけて臨海マンションは完売なるか…

-No.1286-
★2017年03月30日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2212日
★ オリンピック東京まで → 1212日





◆スケールはたしかにデカい

 東京都が”2020TOKYO大会”選手村の再開発事業に着手。
 …と、報じられたのが昨年(2016)4月。
 早いもので、もうあれから1年。

 オリンピック・パラリンピック東京大会については、運営面のあれこれにゴタゴタがつづき、おまけに選手村の立地に深い関わりをもつ築地市場の、豊洲移転問題までが泥沼状態というさなか。
 (しかし、どうあろうとオリンピックはやるんだからナ)
 途中経過を見に、晴海へでかけた。
 ここの客船ターミナルは、定点ウォッチポイントのひとつ。

 東京駅丸の内南口を起点とする都バスが、有楽町駅前、銀座4丁目、東京メトロ勝どき駅前を通って、本数も頻発。所要30分も、まぁまぁの距離。
 このぶんなら、建築ラッシュ時になっても締め出されることはなさそうだ。

 ランドマークの中央清掃工場、高い煙突塔をすぎると、壮大な建築現場が現れる。
 バスはその端っこを遠慮気味にすり抜け、終点の晴海埠頭(客船ターミナル前)に着く。

 大型客船の寄港していないふだんのターミナルは、吹き抜けるまだ冷たい風の中。
 目の前に、選手村の基盤整備と見られる工事が進んでいた。本体工事もすでに一部はじまっているらしい。
 その広さ、東京ドーム3・8個分の18ヘクタールという。

 選手村の建物は、オリンピック・パラリンピック後はマンションに転用される予定で、それには民間資金954億円が投じられることになっている、が。
 その土地のいわば基盤部分、道路ほかの整備には少なくとも410億円の公的資金が充てられる、という。
 そのうえで、道路を除く13ヘクタールが選手村建設事業者に売却される、と。

 しかも、この基盤整備費には、隣接する公園や船着場、大会後に中央区が建てることになっている小学校の整備費は含まれていない、というのだから、まだまだカネは余計にかかることになる。

 レガシー(遺産)とはナニか……
 過去をふりかえるレガシーに、ほんとのところ未来はあるのだろうか……

 大会後に、事業者は選手村の住宅棟をマンションとして分譲および賃貸して建設費を回収することになるわけだ、けれど。
 そこで、ごく素朴な疑問がわく。
 それが取引の通例かどうかは知らないが、これがオリンピックがらみのことではなく、ここが競いあっても欲しいほど魅力のマンション建設地であれば、黙っていても事業者は、みずからその資金を投じても建設するのではないか。

 さらには。
 大会後、選手村の食堂や多数のトイレを撤去、車椅子対応の浴室をリメーク、間どりの変更などなど、マンションとして売り出すための大規模改修には500億円が必要(組織委員会試算)とされ、その費用負担も都になる想定というからタイヘンで、これらはすべて招致段階の立候補ファイルにはなかったものだ、と。

 マンションの戸数はおよそ6000戸だそうで。
 これについても、不動産関係者のなかには、需給関係からして完売できるどうか危ぶむ声もあるのは、当然だろう気がする。大会後には、東京都の人口も減少に転ずるという予測もあるくらいだから。
 ”臨海人気”なんていっても、さて、どれほどのもんじゃろか。

 ……………

 客船ターミナルから晴海運河の対岸に目をやると、すでに視察してきた豊洲新市場予定地の建物が広がり、そこから晴海との間に架かる豊洲大橋(架橋は完成)が手持無沙汰の表情にみえる。
 で、その先、晴海から築地へ、隅田川に架かる築地大橋も架橋は完成しているのだが、かんじんの築地市場の移転が暗礁にのりあげているために、これも手持無沙汰組の仲間入り、ときてる。なんか…こんぐらかってる。
 
 「環二通り」と呼ばれるこのルート、築地の先はいうまでもなく新橋、新虎通りを経て虎ノ門に至り、道筋にはBRT(バス高速輸送システム)が開業の予定になってはいる。
 けれども、鉄道のない晴海選手村あたりにBRTだけで交通インフラはよしとされるのか、どうか。それを危ぶむ声もある。
 こりゃ、まだまだタイヘン、カネはいくらあっても足りそうにない。

 ……………

 いずれにしても、あらためて考えてみるまでもなくオリンピックというのは、とんだ金食いモンスターには違いなく、だからIOC(国際オリンピック委員会)としても、できるかぎり”節約”の方針をうちださないと、これからさき開催地がなくなるおそれイッパイ。

 さて、オリンピック・パラリンピックがおわって、さぁそれからの再開発、完成するのは2023年度になるというが、そのころTOKYOは…いやさNIPPONは、はたしてどうなっているのだろう。
 


 
 
 
 

エゾモモンガの暮らしぶり、四季折々のあれこれ、知れました

-No.1285-
★2017年03月29日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 2211日
★ オリンピック東京まで → 1213日




 おとつい。
 帯広の、真鍋庭園とエゾモモンガにまつわるお話し、しましたら。
 すぐ、その日の夜に、かれらの興味深い暮らしぶりのことが知れました。
 お知らせします。

◆中古住宅だ~い好き

 小さな体、まぁるい小顔にぱっちり黒目。
 エゾモモンガは、アカゲラが転居したあとの巣をいただくのが好きな、いいものはいい中古住宅派。

 ちなみに、キツツキの仲間のアカゲラは木づくり住宅とくいな、森の大工さん。
 大きく育った木に穴を開けて、コンコン、カンカン、深さ50センチにもなる巣を、それはみごとに突つきだします。
 そんな職人気質ですから、つくった巣穴をつかうのは1年きり、翌年はまた別の巣をこしらえます。
 ですから森のなかには、アカゲラがのこした中古住宅がいっぱい。
 エゾモモンガは、それをつかわせてもらうのが、お気に入り。

◆ベッドは手製のフカフカ苔ふとん

 モモンガは、空を飛びます。
 両前脚と後脚のあいだ、つまり右と左とにある2枚の”飛膜”を広げて、グライダーみたいに空中を滑っていくんです。
 よく見ると、前脚の指の…人の小指にあたるところが長く伸びていて、この長い指の先端まで飛膜があるから、上手に飛べちゃう。うまくすれば100メートルくらいは、えぇ、いけます。
 ついでに、この長い小指は右や左にカーブするときの舵に役目もしてる、ネ、すごいでしょ。
 ふさふさの尻尾には、そうです、舵をとる役目があって、そのために平ぺったくできてるんです。

 ところで、そんな中古住宅だ~い好きなモモンガですが、ベッドは手づくりのフカフカふとん。
 森の苔をセッセと運んで、分厚いクッションにする手間を惜しみません。

 どうしてか…というと、これは寒い冬をすごすための知恵で、近所の仲間たちを呼んで、身を寄せあって暖かくすごすため。
 ふだんは、みんな、ひとりなんですが、氷点下10度にも20度にもなる冬はべつ、苔と仲間の体温でぬくぬく冬眠……
 

◆森のご馳走、シラカバの花芽

 モモンガは、ネズミに近いリスの仲間。
 エゾリスたちはオニグルミとかドングリとかの木の実が好きですが。
 エゾモモンガの大好物は、シラカバの花芽。これは栄養たっぷりの森のご馳走。

 花芽のときはまだ仲間たちと共同生活中の越冬シーズンですから、一緒に食べにいきます。
 森には、天敵のエゾフクロウやオオワシオジロワシ、エゾクロテンなんかもいますから、ひとりぽっちじゃないほうが心づよいし…でしょ。
 もし襲われたら、すぐ逃げこめるように、トドマツとか冬でも緑の葉がいっぱいの樹に近いシラカバが、お気に入りのレストランというわけです。

 ぼくたちエゾモモンガが、シラカバの枝に丸くなって、花芽を食べてる姿を見た人み~んな「まゆ玉みたい、かわいい」といってくれます。

◆窓辺のレストランでお食事

 こうして、仲間と寄り添って暖かくすごす冬ですが。
 なかには、ひとりでガンバりつづけるエゾモモンガもいます、そう、たいがい若いつっぱりオス。
 かれらは、巣穴には大きすぎるくらいの樹の洞を見つけて、そこにシラカバの花芽を集め、好きなときに食べられるようにしたりもします。
 そうです、モモンガの食糧庫ですね。
 
 ここで食事をするときには、窓が大きく開いて外敵に襲われやすいですから、モモンガは外を見張りながら食べるんですが、その姿がまた「窓辺のレストランでお食事、か~わいい」と評判になったりします。

 けれど、それも春まで。

◆一年に一度、一日きりの燃える恋

 春はエゾモモンガにも恋の季節
 このときばかりは、ふだんの夜行の暮らしを忘れて、モモンガたちは昼間っから大忙しに、駆けずりまわります。

 かわいいメスのなかでも、とびきりかわいいメスを求めて。
 だって、勝負のときは、あまりにも短いからデス。

 メスがオスをうけいれてくれるのは、たった一日。
 その日、そのときに、メスの傍にいなければ、また来年までチャンスはありません。

 ですから、エゾモモンガの恋の季節には昼も夜もありません。
 恋敵が近づいて来れば、あの、ふだんは愛らしい顔をゆがめ、大きなクリクリまなこを三角にして、懸命に追払います。
 めったに鳴き声をたてないモモンガが、「キー」と鋭く烈しい威嚇の声をあげるのも、この恋の季節のこと。

 こうして、ぶじ、メスにうけいれる準備ができたら。
 オスは、このときを逃さず、なんどもなんどでも…ガンバ。
 かくじつに子孫をのこすための交尾に…ガンバります。

◆おまけにモモンガの所見と、こぼれ話をいくつか

 まず、モモンガは体長が14~20cm、尾の長さが10~14cm、体重が150~220gくらいの小動物哺乳類。
 東京の高尾山にも棲息することで知られ、おなじ空を飛ぶ仲間のムササビ(体重700~1500gくらい)とは比べものにならない、ざっと3分の1くらいのチビすけ。

 空中に飛びだすために、高い樹のある森を好むのはモモンガもおなじ、樹上生活者で草食動物ですが。
 モモンガとのちがいは体の大きさだけじゃありません。ムササビにはもっとたくさんの飛膜があって、両方の前脚と後脚の間だけでなく、前脚と首の間に1枚、それから後脚と尻尾の間にももう1枚の飛膜があるんです。
 あっ、それからムササビは冬眠もしません。

 モモンガは漢字で「摸摸具和」。
 これだと読みは「ももんぐぁ」で、妖怪じみてますよね。
 そうです、昔は妖怪扱いされたこともあって、子どもが親の言うことをきかないときなど「ももんがぁ」なんて、脅されたりしたそうです。

 それとは反対に北海道のアイヌたちからは、「子守り神」としてたいせつにされたともいいます。あの愛らしい顔つき表情や仕草からすると、アイヌたちの観察の方が鋭いと思いませんか。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 以上、これらのことが知れたのはNHK・BSの番組ワイルドライフ「北海道 サロベツ原野 エゾモモンガ 凍てつく森を生きる」からでした。
 NHKの番組制作、おカネの使い方にはいろいろ言いたいこともあるけれど、正直ドキュメンタリー系の取り組み姿勢にはいつもアリガト感謝です。
 この公共放送は、ニュースとドキュメンタリー中心にテッテイテキに”らしさ”を活かすことに邁進、ドラマやバラエティーに余計なカネをかけることのないようにしてほしいものです。
 ね……。



 

 

 

日本の〝国技〟大相撲にひさびさのドスコイ日/  稀勢の里…横綱昇進場所で逆転優勝の快哉

-No.1284-
★2017年03月28日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 2210日
★ オリンピック東京まで → 1214日



◆相撲ブーム再び!

 3月26日の日曜日、大阪の大相撲春場所千秋楽は、新横綱に昇進したばかりの稀勢の里が優勝決定戦の大一番で大関照ノ富士をくだして優勝、の快挙に沸いた。
 新横綱の優勝は1995年初場所貴乃花以来で22年ぶり……
 「相撲ブーム再び」の文字がスポーツ紙に踊った。

 相撲ファンの多くは、01年夏場所貴乃花が右膝亜脱臼という怪我を克服して横綱武蔵丸との優勝決定戦を制して優勝、の場面を想いだしたはずである。
 あのとき、勝利の瞬間に見せた貴乃花の阿修羅像(奈良興福寺蔵、国宝)のごとき勝負師の表情は、ホントにスゴくて浮き世ばなれして見えたものだった。
 決まり手は豪快な左上手投げ。

 稀勢の里の場合は、苦し紛れ、乾坤一擲の右小手投げ。
 勝って半ば茫然としたような表情にカッコよさはなかったが、13日目に負傷した左肩に力が入らず痛みをこらえながら賜杯を抱く姿、「こんどは泣かないと決めていたけれど」と表彰式で見せた男泣きには、この人らしい素朴さがあふれてヨカッタ。

 ……………

 稀勢の里、新横綱の今場所、ぼくの心境は微妙だった。
 横綱昇進後すぐの場所で、新横綱の成績が上がりにくいのは、祝勝行事などが多いために本人にもまわりにも”ひと休み”気分が正直あること、これでひさしぶりに4横綱になった今場所は、先輩横綱の意地の見せどころでもあったからだが。

 そのいっぽうで、これまでの横綱たちとはひとあじチガウ昇進をはたした稀勢の里にも、またチガッタ意地があるだろうと思われてもいた。
 稀勢の里はたしかに「ばけ」たのだけれど、どこまでバケたか、まだわからない……

 ところが場所が開けてみると、あれよあれよという間に、弟弟子の関脇高安とともに連戦連勝。
 白鳳がはやばやと5日目から休場するなど、先輩横綱たちの不甲斐なさもあり、これは田子ノ浦部屋勢の同部屋対決で優勝が決まるか…という。
 そんな流れのなかで13日目、先輩横綱日馬富士との一番で、わるいときのクセ、腰高ふわっと立ちでいっぺんに土俵外までもっていかれ、転げ落ちた。
 顔をしかめ左肩をおさえて、しばらくは立ちあがれない稀勢の里の姿に、ぼくは(休め、無理をして台無しにするな)と胸中、叫んでいた。

 しかし、稀勢の里に休場の選択肢は最初からなかったらしい。横綱の意地、というやつか。
 貴乃花のときも、彼はあとで「出て(力士生命が)ダメになっても、しようがない、それでもいいや」と思ったといっている。

 稀勢の里の14日目は、先輩横綱鶴竜に手もなく寄り切られ。
 この日のぼくは、溜息ひとつ。
 もう明日は、どうなっても相撲をとるしかなくなった稀勢の里に、あとはどれほどの運気があるか…だと思いきわめた。

 千秋楽の相手は、1敗を守ってトップに立った大関照ノ富士
 勝負は勝負だが、気がかりはただひとつ、また土俵下に転げ落ちて負傷に負傷の輪をかけてしまうことだけ。

 「勝負は下駄を履くまでわからない」と昔は言った。
 「勝負に勝って相撲に負ける」とも言う、土俵際まさかの突き落としで照ノ富士に勝った稀勢の里
 「見えない力が働いた」と。
 ともあれ、これで13勝2敗の同成績。

 優勝決定戦でも、勝ちをひろいながら照ノ富士の圧力に土俵下へ転げ落ち…けれどもこんどは、すっくと立ちあがった。
 一皮むけて、大化けした稀勢の里
 霞のかなたに消えかかっていた日本の”国技”相撲に、明るい陽がひとすじ射しもどした。

 惜しむらくは、ライバルで先場所大関を陥落、今場所に復帰をかけていた琴奨菊が星ひとつ届かず9賞6敗におわったこと。
 けれども「大関から落ちたからオシマイじゃない、あきらめたときがオシマイ」と語った彼なら、きっと克服してくれるだろう。

 また、もうひとり、最後は引き立て役にまわらされた大関照ノ富士も、怪我に苦しんできた男。この「まさか」の連敗、ほとんど手中にしながらのがした優勝のくやしさを糧に巻き返してくるだろう。

 ようやく、じっとこの日を待ちわびていたファンにも、春のそよ風が吹いてきた。
 あとは稀勢の里の怪我の程度、ホントのところはどうなのか、来場所には間にあうのかどうか…… 

つくり休みいただいています

-No.1283-
★2017年03月27日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 2209日
★ オリンピック東京まで → 1215日

シバれる厳冬の帯広「真鍋庭園」から届いた一通の封書

-No.1282-
★2017年03月26日日曜日
★《3.11》フクシマから → 2208日
★ オリンピック東京まで → 1216日


◆返書のうれしさ

 一通の封書が届いた。
 北の大地、十勝・帯広からだった。
 ちかごろ、”返信”はあっても”返書”を受けとることはきわめて少なく、ほとんど稀になっている……

 なかからは、2枚の絵ハガキ。
 空から見た真鍋庭園(右)とエゾリス(左)の写真、二葉の裏には女文字。
 わけもなくウレシかった。

 これは去年11月、東大雪山麓、上士幌町にお試し移住の「ちょこっと暮らし体験」に2週間、訪れた折の十勝あれこれリポートが縁。
 その〈帯広の一日〉編に、真鍋庭園の印象を綴ってブログに載せ。
http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=10328749687201275086

 記事のコピーを園長さん宛に送ったのは、〈エゾモモンガの形見にのこされた尻尾〉のことがつよく心にのこっていたからだった。
 雪のなかを歩いて戻った屋内、スーベニールショップの若い女性がヒラッと見せてくれて、
 「食べられちゃったんだと思いますけど、尻尾には肉がないからきっとのこったんですね」
 茶目っ気たっぷりにそう言ったのだ。

 しかし、うっかりすると用件あっての手紙にも返事がない、いまどきのご時世、ほとんど期待しなかった”返書”をいただいてしまったのである。
 ぼくの気もち、おわかりいただけるだろうか……

 園長さんから、若い女性スタッフの手にわたされたものだろう、
   「おとなの十勝!!」大切にしていきます。
 相手への思いやりあふれる、闊達でりっぱな手紙文だった。
   モモンガの尻尾はもうなかったので…
 エゾリスの写真には、そう言葉が添えられてあった。

 帯広の真鍋庭園(http://www.manabegarden.jp/)。
 そこは、樹木の「輸入・生産・販売」をしている農業者「真鍋庭園苗畑」の運営。
 ぼくらが訪ねた11月まで、よその庭園・植物園がみな早々と閉園しているなか、ただひとつ開いてくれていたところで、それだけでもなにかしら実直。

 12月から閉園していた近況にふれ、
   4月22日のオープンにむけて、エゾリスやエゾモモンガたちと共に、雪深い庭園で春を待っている今日この頃です。
 手紙は「今度は緑豊かな季節に」と誘いの言葉そつなく、そうむすばれていた……
    

映画『スノーデン』を観て考える…国家による〝監視社会〟のオゾマシさ

-No.1281-
★2017年03月25日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 2207日
★ オリンピック東京まで → 1217日



◆国家が仕掛ける”個人監視”社会

 3月4日(土)。
 オリバー・ストーン監督の映画『スノーデン』(2016、米=独=仏)を観た。

 映画は”愉しめる”こと。か、
 あるいは、”ドキュメンタリー性が気もちよい”。か、でなければならない。
 ぼくはそう思っている。

 いうまでもないが、ドキュメンタリーといえども人の感性フィルターをとおしたものは、少なからず物語り(フィクション)性をもつ。
 その意味では、純粋にノン・フィクションというものはない。
 ぼくは、そのつもりで映画・映像を観ている。

 ……………

 さて、映画『スノーデン』。
 おそらく世界中のだれもが、脳神経回路にともる明滅赤色灯の瞬きに眉をひそめた、あの告発者にまつわるお話しである。

 2013年、アメリカ国家安全保障局(NSA)及び中央情報局(CIA)元局員が、国家機関による個人情報収集の手口とその影響を告発した、その経緯を追っている。
 だから冒頭にも述べたとおり、これはフィクション性をもったドキュメンタリー作品といっていい。
 したがって、映画のアラスジをいうこともあるまい。

 映画は、「彼は、英雄か、犯罪者か―」を問う。
 たしかに言えることは、それによって彼スノーデンが、故国アメリカから逮捕命令を受け、亡命かいなかは別として、もう二度と故国に帰れることはないだろう、ということ。

 現代が情報戦争の時代であることは、みな知っている、が。
 さて、はたしてドコまで知っているのか。
 個人とはナニか、国家とはナニか。
 個人を国民として守る義務がある国家が、その国民を欺くことが許されるのか。

 ことわりもなしに個人の情報を収集するという行為は、あきらかに犯罪である。
 ちまたの犯罪者が手を染めている類いの犯罪である、が。
 同じことを、国家が仕掛けると、それは免責されるのか。
 不正義どころか、はっきりと犯罪であるものを、ダ。

 同じ犯罪、あるいは、どんなに酷〔むご〕い争いごとでも、国家がらみになると戦争という名を冠され、なぜか「やむをえない」ことのような色彩をおびてくる、のは許されることなのか。

 グイ、グイ、ひく力のある、映画のデキは佳かった。
 なによりオゾマシいのは……
 企業はもとより、個人レベルの通話やメールやSNSからも、すべてのデータが意図的に取り込まれている、ということだ。

 ぼくのパソコンは、初級からやっと中級にかかったくらいのところだろうが、それでも日々ちょっとしたヤバそうな事態のカケラにはいつも遭遇している。しかし、じゃ、ドウすればいい。
 国家レベルを相手に、それこそ素人が素手で、どれほどの抵抗が可能なものか。
 
 とりあえずは…SNS……ほかでもない、このブログやfacebookも含む周辺をどうするか。さらに、
 それよりもまず疑問をなげかけるべきは、特定秘密保護法とか共謀罪とかの国策に対して、ではないか。

 彼スノーデンが、日本にも情報収集の活動で滞在したことがあり、その経験から「気をつけたほうがいい」と語っている意味は、軽くない。
 そうして、もっとだいじなことを、すでにボクらは知ってもいる。

 ---”監視”でテロはなくならないし、防ぐこともできない--- 

 

快生やすみ…いただいてます

-No.1280-
★2017年03月24日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 2206日
★ オリンピック東京まで → 1218日

国立西洋美術館とル・コルビュジエ、そして世界文化遺産のこと

-No.1279-
★2017年03月23日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 2205日
★ オリンピック東京まで → 1219日





◆天を仰ぎ、足もとを見つめる

 『スケーエン デンマークの芸術村』展を観に、ひさしぶりに上野の国立西洋美術館へ行った。
 (昨日の記事)

 ご承知のとおり、『ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-』構成資産のひとつとして世界文化遺産に登録された建物。
 氏の設計で、この美術館が誕生したのは昭和34(1959)年のこと。当時14歳で中学生だったぼくも、胸をときめかせて上野の森へ、いわゆる”文化の匂い”を嗅ぎにいった日を想いだす。

 いたずらに来館者を威圧するようなこともない、すっきりと西洋的な外観の建物は、青春前期の若者に文化のなんたるか、その多様性の一翼を指し示すものとして、百科事典のごとき魅惑と威厳にみちており。
 まだ未熟な者たちには、てっとりばやく文化的背景やお膳立てを用意してくれる場、つまり背伸びしてみせるのにおあつらえ向きのデートスポットだった。

 19世紀から20世紀前半まで印象派の絵画や、ロダンの彫刻群で知られる松方コレクションのかずかずは、いまも常設展示に観ることができ、それら作品群を鑑賞しながら展示室から展示室へ、いざなわれる通路のゆるやかなスロープや階段など、あらためて見ても、なるほどよくできている、さすがである。

 しかし……
 それでもなお、ぼくは”自然”にせよ”文化”にせよ、”世界遺産”という評価法には疑念を抱かずにはいられない。
 はっきりいって違和感がいっぱい。

 こしらえたものには、かならずこわれるときがくる。
 その本質のところを、どうとらえているのかが、わからない。

 そもそも”遺産(レガシー)”という考え方そのものが、”保存”しようという態度が、矛盾に充ちている。
 人とその文化がつづくかぎり…のことにすぎない。

 人が消えた世界には、人がつくった遺産も意味がない。
 人のいなくなった世界にまで、人の遺産をのこそうという魂胆そのものが、あつかましくもえげつない。
 人は自然〔じねん〕の生きものらしく、みずからが消えたあとは、この地球世界をきれいにさっぱりと返却すべきと思う。

 やるなら、人類が滅びないための方策しかない、のではないか……
  
 そう想ってみる前庭のロダンの彫刻、いずれも、おおきく天を仰ぐか、じっと足もとを凝視していた。